サラリーマン生活をしていれば、避けて通れないのが「飲み会」。
歓送迎会、忘年会、祝賀会、イベント前の決起集会…名前は違えど、やることは大体同じです。
集まって、酒を飲みながら、だらだら喋る。
これが「飲みにケーション」の本質なのかもしれません。
たしかに、気の置けない仲間と語り合うお酒の席は、楽しいもの。
お互いの距離も縮まり、職場の雰囲気がよくなることだってあります。
けれども最近は、特に若い世代を中心に、飲み会離れが進んでいると言われています。
コロナ禍の影響でその傾向に拍車がかかりましたが、果たしてそれだけが理由でしょうか?
飲み会が敬遠される理由
私自身、飲み会に対して複雑な思いがあります。
参加するのが嫌なのではなく、「こういう飲み会はキツい」という体験を、何度もしてきたからです。
1. 企画の負担が大きすぎる
「飲み会を開く」となると、なぜか若手や下の立場の人に企画・調整が回ってくるのが通例です。
仕事の忙しさに関係なく、「若いんだから」「このくらいやって当然」と言われてしまう――これ、よくある話です。

そろそろ花見の季節だな。うちでは毎年この時期に宴会をするのが慣習になっているのだ。
よし、Aくん、今回の飲み会を“いい感じ”に頼む!

えっ、私ちょっと今他の仕事が…

なんだその態度は!若手が盛り上げるもんだろう!
この「いい感じに」という超ふわっとした丸投げが実は一番厄介。
場所選び、日程調整、人数確認、予算交渉、上司の好みの把握――やることは山積みです。
中でも難関なのが“上の人の満足度”という目に見えない基準。

△△で予約を取りました!
雰囲気も落ち着いてて、コースもコスパ良くて評判の店です

△△!?なんだそのセンスは!
もっと落ち着いて語れる場所がいい!

えっ…(それで選んだんですけど…)
自分なりに一生懸命考えたのに、あとから「なんか違う」と否定される。
それなら最初から希望を言ってほしい――と何度思ったかわかりません。
また、日程調整も地味にキツい。
「全員の都合を合わせろ」と言われても、人数が多ければ多いほど調整は困難。
しかも「自分は参加できないけど、日をずらせ」と平気で言ってくる人もいたりして…。
準備のために昼休みが潰れたり、終業後にお店の下見に行く羽目になったりと、本来の業務外で時間も労力も消耗するのです。

なんで“やりたい人がやる”じゃなくて、“若いからやれ”になるんだろう…
飲み会を嫌がる若手が増えている背景には、こうした“見えにくいけれど確実にしんどい裏方業務”の存在があります。
楽しいはずの場が、準備段階からすでに“苦行”になっている――
これでは参加前から疲れてしまうのも無理はありません。
2. 自由に飲み食いできない
せっかく参加した飲み会。
一番楽しみにしているのは、やっぱりおいしいごはんと好きなお酒ですよね。
でも、現実にはなかなか「自分のペースで好きに飲み食いできる場」にはなりません。

準備は大変だったけど、せっかくだから楽しもう。
お、このチューハイ美味しそうだな~

すみませーん!最初は生ビール、全員分で!

えっ、ビール苦手なんだけど…
この「とりあえず生!」の空気、今も根強く残っていますよね。
ビールが嫌いでも、とりあえず一口つけないと場の空気が…というプレッシャー。
さらには、乾杯の直後から若手は“接待役”に早変わり。

いたいた、こらAくん。サラダをいい感じに取り分けてくれたまえ。
それから、上司のグラスが空きそうだぞ?注文、注文!

えっ、あ、はい……(せっかくの酒がぬるくなる…)
若手に課される「気配りマナー」も多岐にわたります。
- ビールはラベルを上にして注ぐ
- 串焼きは食べやすいように外す
- 上司の話の最中は手を止めて静聴
- 自分が食べるより、まず取り分けと気遣い優先
どれも“気が利く”と言われるための動作かもしれませんが、それを自然にできる人ばかりではありません。
しかも、話す側にその“ルール”を配慮する意識があるわけでもなく――
むしろ「飲み会ってそういうもんだろ?」と、無意識に押しつけているケースも多いです。

気を利かせ続けて、気づけば自分のグラスも料理もほとんど手をつけてなかった……
締めのタイミングになってようやく料理に手を伸ばそうとすると、誰かが挨拶を始める。

それでは〇〇部長より一言いただきます!皆さん、手を止めて!

えー、高いところから失礼します。私が若い頃はウンタラカンタラ……

食べられるチャンスがまた…
ようやく終わったと思えば、今度はお開きからの“強制二次会”ルート。

Aくん、何やってる。次の店行くぞ!

えっ…あ、でもまだ何も食べて…
こうして、空腹のままハシゴ酒へ。
次の店ではお酒ばかり出て、食べ物はスナック菓子程度――なんて展開もよくある話です。

胃が空っぽなのに焼酎ばっかり勧められて、酔いが回るし、頭も痛いし…
あそこのラーメン屋で締めに一杯食べたかったのに…!

おーいA~!タクシー来たぞ~!

えっ、タクシー代って……(払ってもらえなかった……)
こうして「好きに飲み食いできないまま」「気疲れだけして」「出費は大きく」、帰る頃にはぐったり。
これでは、せっかくの飲み会が“リフレッシュの場”ではなく、“気を遣う仕事の延長戦”になってしまいます。
3. お金と時間がかかりすぎる
飲み会は、思った以上にコストがかかる行事です。
まず時間。1次会だけでも2~3時間。もし2次会、3次会と続けば、日付をまたぐことも珍しくありません。
その間、本来なら休めたはずの時間を使って、参加者の顔色をうかがい、気を配り続ける……。終わったころには心身ともにヘトヘトです。
仕事が終わっていなくても「空気を読んで」参加しなければならず、翌日以降にしわ寄せがくることもあります。
帰ってから報告書の続きを書く、休日に持ち帰って資料を仕上げる――そんな経験、ありませんか?
そして金銭面の負担も無視できません。
私の経験では、1店舗あたり3000〜5000円が相場。
そこに2次会・3次会、さらにタクシー代や割り勘での“謎の端数処理”が加わると、1日で1万円以上吹き飛ぶことも。
しかもその金額、ちゃんと楽しめたならまだしも、
「気を遣ってばかりで何も飲み食いできなかったのに、しっかり全額徴収」なんてことも、ざらにあります。

時給1000円で5時間働いて5000円。
付き合いの飲みで2時間1万円消えたよ。何のために働いたんだろ……
この言葉が象徴するように、人によっては1回の飲み会が生活に響く痛手になりかねません。
試しに、5000円の予算でひとりランチに行ってみましょう。
ちょっといい店でコース料理を楽しむ、スイーツまでつけて満喫する、温泉施設でごはん+リラックス――選択肢はたくさんあります。
それだけの価値が、本当にその飲み会にあったか?
頻度が少なく、楽しめる会ならまだしも、月に何度もあると家計はどんどん圧迫されていきます。
気がつけば渋沢さん(or諭吉さん)が数人、フェードアウトしていることも。
懐事情は人それぞれ。
だからこそ、金額に見合う満足度のない飲み会は、「つらい」と思われてしまうのです。
じゃあ、飲み会っていらないの?
いえ、そういうわけではありません。
私は「飲み会」そのものが悪いとは思っていません。
大切なのは、みんなが楽しめる場にすることです。
そのために必要だと思うポイントを、いくつか紹介します。
1. 参加は自由に
「参加しない=協調性がない」なんて考えはもう古い。
人にはそれぞれ事情があります。
家庭のこと、体調、金銭面、あるいは単純に「その場に居たくない」ことも。
誰にでも居心地のいい場なんて、そうそうありません。
強制されないからこそ、集まった人たちの気持ちも前向きになります。
2. マナーの押しつけをやめる
「最初はビール」「ラベルは上」「串は外せ」「目上の人が話してる間は飲むな」
こうした“飲み会マナー”の多くは、本当に必要なのでしょうか?
そもそも、それを守ることで場が楽しくなるのか、今一度立ち止まって考えたいものです。
3. 説教はNG
飲み会の場でありがちなのが、“説教タイム”の発生。
一杯入った上司が、「俺の若い頃はなぁ…」「お前さぁ、最近どうなの?」と、過去話や指導モードに入ってしまう。
これ、言ってる側は“親身なアドバイス”のつもりかもしれませんが、聞いてる側からすればただの苦行です。

せっかくの飲み会、今日は楽しもう…と思ったのに

おう、A!最近の若いやつはな、もっとガツガツ行かんと!

ああ、また始まった…
お酒の席で一方的に価値観を押し付けられるのは、逃げ場のない叱責に近いもの。
しかも、ほかの人たちは微妙な空気の中で黙って聞くか、空気を読んで相槌を打つしかない。
結果、場は凍りつき、誰にとっても居心地の悪い時間に。
そしてこういう説教が延々と続くと、
「次の飲み会には行きたくないな……」と思われる大きな原因になります。

気まずい空気が耐えられなくて、飲み物を口に運ぶフリをして逃げるのが精いっぱいだったよ……

“お前のためを思って言ってるんだ”って言われたけど、それってただ自分の価値観を押しつけたいだけじゃないですか…?
そもそも、本当に相手のことを思うなら、冷静に時間をとって、仕事中に伝えるべきです。
わざわざ“くつろぎの場”でそれをやってしまうのは、「気遣い」の名を借りた自己満足にすぎません。
また、「説教」まではいかなくても、
「根掘り葉掘りプライベートを聞く」
「恋人の有無を詮索する」
「結婚や出産の予定を探る」
といった質問攻めも、相手にとっては十分なストレスになります。
説教、指導、詮索――こうした行為は、言う側が思っている以上に相手を疲れさせます。
飲み会は、仕事の成果をたたえたり、日頃の労をねぎらったり、リラックスするための場であるはず。
なのに、なぜか「評価される/されない」の空気が持ち込まれると、飲み会そのものが“業務”の一部のように感じられてしまうのです。

仕事終わったあとに、また仕事みたいなことをされるって…
それ、どこで息抜きできるんですか?
飲み会が「発散」ではなく「負担」になる瞬間。
そのひとつが、こうした説教の空気なのです。
飲み会は“リラックスの場”であって、自己満足のステージではありません。
楽しめる場にするために
ここまであげたように、飲み会にはさまざまな“つらさ”がつきまといます。
ですが、だからといってすべての飲み会が悪というわけではありません。
実際、気の合う仲間と、好きなものを飲みながら笑い合う時間は、かけがえのないものになることもあります。
問題は、“誰かにとって楽しい場”が、“他の誰かにとっての負担やストレス”になっていること。
飲み会を「みんなが楽しめる場」にするためには、いくつかの意識改革が必要です。
1. 「成果」や「目的」を求めすぎない
「飲み会で本音を引き出そう」
「若手との距離を縮めよう」
「チームワークを高めよう」
こうした“目的意識の強すぎる飲み会”ほど、逆にうまくいかないものです。
関係性は、無理に作ろうとするものではなく、自然と育まれるもの。
「この時間が楽しかった」と感じてもらえることが、
結局は一番いい“結果”なのではないでしょうか。
2. 大切なのは、ゆるさと安心感
“お酒を飲む”という行為は、ただの手段に過ぎません。
本当に求められているのは、リラックスして話せる空気。
心地よく過ごせる関係性。
- 途中参加でもOK
- ノンアルでもOK
- 無言でいてもOK
- 早抜けもOK
こうした**「いてくれるだけでうれしい」空気**があれば、
飲み会はもっと自由で、もっと楽しいものになるはずです。
飲み会を、見直すいいタイミングかもしれません
コロナ禍を経て、飲み会文化が変わり始めている今こそ、
その在り方を一度見直すチャンスです。
「また行きたい」と思える飲み会。
「無理せず楽しめる」飲み会。
そんな場がひとつでも増えれば、
飲み会という文化は、きっともっと“健やか”に続いていけるはずです。
今回の所はこの辺で。
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