かつての私は、いわゆる「物が捨てられない人」でした。
実家の部屋はもちろん、上京して暮らしていた部屋もモノであふれ、まるで倉庫のよう。気づけば床の見える面積は、日に日に狭くなっていました。
大学卒業のタイミングで部屋を引き払うことになったのですが、それはもう大変でした。荷物の多さに引っ越し費用は膨れ上がり、「なぜこんなに…」と自分でも呆れるほど。
当時は人間関係でも色々と揉めごとがあり、正直メンタル的にもきつかったのを覚えています。
そんな中で、ある日ふと思い立ち、実家で「部屋の掃除をしよう」と決めたのです。
「掃除」と「お片付け」は違う
「掃除」という言葉は、「掃いて除く」と書きます。つまり、そこには“いらないものを取り除く”という意味が含まれています。
一方で「お片付け」は、モノを捨てるのではなく、“見えないところにしまう”ことが中心。見た目は一時的にスッキリしても、実際には何も減っていません。
私がずっとやっていたのは、まさにこの「お片付け」でした。
床に散らばったものをとりあえず押し入れやクローゼットに詰め込んで、見える範囲だけ片付けたような気になる。
そしてしばらくすると、また散らかって、また詰め込んで……の繰り返し。
「片付けても片付けても、なんでまたすぐ散らかるんだろう?」と、ずっと疑問に思っていました。
でも、そもそも“減らしてない”んだから、当たり前なんですよね。
さらに困ったことに、私は捨てられない性格のくせに、新しいものには目がなくて、すぐにあれこれ買ってしまう。
この「増やして・減らさない」生活を続けていれば、いずれ部屋がキャパオーバーになるのも当然です。
本当の意味での「掃除」とは、部屋の“容量”を把握し、何を残すか、何を手放すか、ちゃんと選び取ることなんだと思います。
断ち、捨て、離れる——それが断捨離
思い立ったが吉日。勢いのあるうちにやらないと、またいつものように中途半端に終わる、と思いました。
ホームセンターでマスクと45Lのゴミ袋を何十枚も購入。
帰宅後すぐに、収納に眠るモノたちを片っ端から引きずり出していきました。
寝る場所もなくなるほど、次々と現れるモノの山。
「ここを片付けないと寝れない!」という自分なりの“背水の陣”をしかけ、容赦なく仕分けを始めました。
出てきた“戦利品”の一例
- 幼少期の工作(黒歴史)
- 賞味期限切れの保存食
- 壊れたプラモデル
- 謎のガラクタや自然物(鹿の角、海の貝殻など)
- 液漏れした電池入りのオモチャ
- もはや用途不明の電子機器
- くたびれた座椅子、カビた布団
- なぜ買ったのか分からない服たち
- もらったけど誰からだったか分からない手紙やグッズ …などなど
自分でも笑ってしまうくらい、部屋が「モノの墓場」と化していたことに気づかされました。
捨てるか残すかの基準は、こんな感じで判断していきました
- それは今も必要なモノか?
- 今後使う予定はあるか?
- 代替できないものか?
- 説明できる「持っている理由」があるか?
こうして徹底的にモノを処分していくうちに、勢いはさらに加速していきました。
デジタルも断捨離の対象に
物理的な整理が一段落すると、次はスマホやPCの中身が気になってきます。
- 長年連絡を取っていない人の連絡先
- 会話の途絶えたチャットグループやメーリングリスト
- 意味不明な写真データ
- 使っていないアプリ
「もう必要ない」と思えるものをどんどん削除。デジタルもスッキリさせることで、気持ちも整理されていきました。
最終的に、作業は丸3日。出たゴミは、45Lの袋にして約30袋。
軽トラックの荷台がモノで山盛りになったのを見て、ようやく「やり切った」と実感しました。
捨てたからこそ、変わったこと
意外だったのは、「後悔」がほとんどなかったことです。
むしろ、心が軽くなり、どこか吹っ切れたような感覚がありました。
そして、不思議なことに、それ以降は「モノを買うこと」自体が減っていったのです。
こんな基準が、自分の中に自然とできていました
- それは本当に必要か?
- 今持っているもので代用できないか?
- 数か月後も欲しいと思えるか?
- 手に入れたら、何か手放す覚悟はあるか?
結果、浪費は減り、代わりにお金の使い道が「体験」や「思い出」にシフトしていきました。
旅行、ちょっといいご飯、心に残る時間。
形は残らないけど、心が豊かになることにお金を使うようになりました。
余白があると、風通しが良くなる
もし今、「なんだか生活が息苦しい」「毎日がうまく回らない」と感じているなら、それは“モノ”や“情報”や“人間関係”で、自分の容量が限界に近づいているサインかもしれません。
人も部屋も、ぎゅうぎゅうに詰め込まれた状態では、うまく呼吸ができません。
風が通らない部屋の空気は淀むように、心もまたどこか滞っていくものです。
断捨離で物理的にモノを減らすと、不思議と気持ちにも余白が生まれます。
目に映る景色がスッキリするだけで、頭の中までクリアになる。
何か新しいことを始めたくなるような、そんな前向きなエネルギーがわいてくるのです。
余白があるからこそ、人は考えることができるし、立ち止まったり、方向転換をする余地も生まれます。
逆に言えば、余白がないと、人は思考停止に陥りがち。選択肢を持てず、ただ「やらなきゃ」「こなさなきゃ」で1日が終わっていく。
それでは本当に、自分らしい生き方とは言えないかもしれません。
モノを減らすことは、自分の“選べる力”を取り戻すことでもあります。
空間の余白、時間の余白、心の余白。
それらはすべて、モノを手放した先に、自然とついてくるものです。
まずはここから!ちょっとした断捨離の第一歩
「でも、何から捨てたらいいかわからない…」
そう思ったあなたに、気軽に始められる“断捨離のきっかけ”をいくつか紹介します。
- 財布の中身を見直す
→ 使ってないポイントカード、レシート、期限切れのクーポンなど。 - スマホの写真フォルダを整理する
→ ブレている写真、意味不明なスクショ、過去のメモ代わりの画像など。 - キッチンの引き出しをひとつだけ片付ける
→ 使ってない調理器具や、古くなったスパイス類など。 - クローゼットから“今年着なかった服”を抜き出す
→ 思い出よりも、「今の自分に合うか?」を軸に考えてみる。 - 机の上や引き出しの中の“使ってない文房具”を処分する
→ 「いつか使うかも」で何年も経っているものは手放し時です。
これらはすべて、短時間で終わる“軽めの断捨離”。
「捨てる」ことに慣れてくると、自然と他の場所にも手が伸びていきます。
小さな一歩が、やがて大きな変化につながっていきますよ。
今回の所はこの辺で。
コメント