あなたは勉強が好きですか?それとも嫌いですか?多くの人は勉強が嫌いと答えるかもしれません。私も勉強が嫌いでした。
でも、嫌いと答えても、それは全ての勉強が嫌いなのでしょうか?
この記事では、嫌われ者の勉強について、色々書いていきたいと思います。
多くの人は「勉強=学校でやるもの」というイメージ
勉強といえば、ほとんどの人が学校をイメージすることでしょう。
平日は学校に行って、授業を受けて宿題を貰い、おうちで宿題をやって次の日の授業へ。進学校に行けば、ここに予習が入ってくる場合もあるでしょうし、時期が来れば定期テストが実施されることになるでしょう。
夏休み等、長期の休みがあれば、学校から宿題を貰って計画的にこなしていくか、最後数日でスパートをかけるか、最初の数日で一網打尽にするかに分かれると思います。
えっ、数学の宿題、B4判のプリント表裏に問題がビッシリ書いてあるプリント7枚って、しかも、他にも問題集何冊か解くようになってるのか。数学だけでも多すぎでは…?
私の高校では、なぜか問題集の解説部分を先生に回収されていたので、答え合わせにしても「その答えが合っているか否か」しかわからず、解き方が全然理解できませんでした。今思い出しても理由がよくわかりません。
このほかにも、例えば読書感想文が苦手だった方とか、いるのではないでしょうか?
地域や小中高のグレードによって多少の差はあれど、基本的な勉強のスタイルはそう大きく変わらないと思います。
何のための勉強なのか
何のための勉強なのか、学校に通いながら疑問に思う人もいるかもしれません。
勉強の目的は、目線によって大きく下に分けられます。
- 最終的に自分がなりたいものorやりたいことを達成するため(長期目線)
- 行きたい学校に進学するためor資格試験に受かるため(中期目線)
- 学校でいい成績を取るため(短期目線)
- テストの点数を上げるため(超短期目線)
理想としては、長期目線で目標を定め、そこに向けて努力していくことなのでしょうが、私の周りでは中短期の目線で目標を定めている人が多いイメージでした。
中学時代の話ですが、地元のとある塾に通っている同級生達は、学校で実施される定期テストにおいて比較的高い点数を取っている一方、全国模試等規模が大きいものになると極端に点数が落ちる傾向がありました。
恐らく、その塾では「中学校のテストでいい点数を取る方法」に特化して教えていたものではないかと推察されます。例えば過去問を分析して問題の傾向をつかんでいたりですね。そのため、毎回傾向の異なる全国模試になると、対応ができなかったのでしょう。
勉強嫌いを生み出す仕組み
勉強が嫌いになる人の背景にはいったい何があるのでしょうか?
学校に通っていた人の中には、得意科目も苦手科目もあったものと思います。
- 国語が好きだけど算数は嫌い
- 科学のなかで、化学が好きだけど物理が嫌い
- 勉強関係は苦手だけど体育が得意
- 他の科目は平凡だけど美術のセンスが抜群
- あらゆる科目に強いけど、体力が絶望的
- 文武両道、全てをこなせる反則人間
- 勉強もできなければ体力も低いのび〇君的な人
こんな感じで、人それぞれ得意不得意はあるでしょう。
自分の好きな科目は、おそらく誰かに言われるまでもなく、黙々と続けていけるでしょうし、逆に嫌いな科目はなかなか手が付けられない人が多いのでは?
そして、そういう好き嫌いはどこから生まれてきたのでしょうか?
まさか、入学して勉強を開始する前から「私は算数が嫌い」なんて言っている人はいないと思います。
ジョンどうの場合
私の場合ですが、小学校中学校までの勉強は、新しい発見の連続と思っておりました。授業の進む速度も個人的には比較的ゆっくりであり、じっくり理解するには最適でした。
結果、授業は嬉々として受け、田舎の学校とはいえ成績は上位に位置し続けました。なお、授業をしっかり聞いていたこともあり、家に帰っても別に勉強らしい勉強をした覚えはありません。
一方で、体育は苦手でした。
小学4年生あたりからは部活への入部がなぜか義務であり、野球とサッカーをやらされましたが、私自身はルールを詳しく知らない一方、皆はルールを既に知っている前提で活動が進むおかげで全然理解できず、他人の足を引っ張ってしまい、次第に部活への参加が苦痛となってきて、なにかと理由をつけて休むようになりました。最終的には合わないという理由で1年で退部しました。
中学でも同様、運動部への加入を指導されテニス部に入りましたが、相変わらず下手であったことと、様々なトラブルに見舞われたため、こちらも1年で退部しました。
その頃から、体育には苦手意識が芽生えたように思います。そもそも、スポーツ関係は特に興味がなかったことも原因でしょう。
そして高校受験のシーズンとなり、「通学が楽」という理由で地元の自称進学校を受験し、合格することができました。
しかし、この頃から次第に勉強に対する考え方が変わり始めます。
私の入った高校では入試合格発表の日、受け取った入学案内の中に問題集もしっかり入っており、「最初の授業までに〇ページまで解いておくこと」と指示された記憶があります。
いいか、いい成績を取っていい学校に進学する。これが将来を明るくするための正解だ!
まずは次の授業までに問題集の〇ページまで解いてきなさい。
入学前でまだ教わってもいない分野をいきなり自力で解けというのも、なかなかハードだと思うのですが、他の学校もそんな感じなのでしょうか?
私のいた学校では、基本的に授業は予習前提で進められていき、宿題の量も多く、土曜日や長期休みにおいても補習という名目で授業を進めていく、所謂「詰込み型」の勉強でした。
「補習」と言いながら授業を進めてるけど、それは「補」習になってないような…
学校から言われる1日の勉強時間は、大体10時間くらいはやるように言われましたが、私はせいぜいやって3時間程度でした。そんな10時間も持つような集中力なんて持ち合わせていませんでしたので。
結果として、私はだんだん勉強が嫌いになっていきました。自分の好きな科目はまだしも、苦手な科目は宿題をやるのも苦痛だったのです。
同じ高校に進学した同級生の中でも、中学ではトップクラスにいたのに、高校では成績が振るわずに埋もれていく人もいました。この人もよくよく聞いてみると中学までは勉強を大してやらなかったタイプだそうです。
ただし私の場合、入学時点で行きたい大学、やりたいことをある程度決めていたので、狙った大学に必要な分の勉強だけはしっかりやるようにしました。時には宿題をサボって先生に怒られることもありましたが、自分の中で不要と思っていたので、特に気にしませんでした。
在学中成績はそこまでふるわなかったものの、志望校は常にA判定であり、最終的に合格できたので、何の問題もないと思っています。
また、勉強は嫌いでも、ちゃんと皆勤は遂げました。
興味のない勉強、目的が不明確な勉強、やらされる勉強
こうして振り返ってみて、勉強が嫌いになる原因というものが何となくわかりました。
小中学校時代の勉強は、新しい発見の連続と書いた通り、自分自身興味津々で受けていました。興味があることなので教えられればスルスルと理解していきますし、受けていても非常に楽しいのです。
一方、体育や高校以降の勉強は自分でやるというよりは「やらされる」という意識が強かったように思います。
また、自分が志望校に行くための勉強は、必要に駆られた思いがあったのでしっかりやった一方、それ以外の無関係な部分については、学校でやれと言われても、全然手が伸びませんでした。
つまるところ、まず大元に来るのは興味の有無です。
次に、目的意識の有無です。それも、長期的な目線での話です。
そして、自分の意志による勉強か否かも重要です。
勉強嫌いにならないために
嫌いという意識が芽生えてしまうと、摘み取るのは非常に大変です。まずは苦手意識を持たせないことを考えましょう。
興味の芽を摘み取らない
ママー、庭でダンゴムシ見つけたよー!
石の下に逃げてったから石めくったら、いっぱい出てきたー!
んまっ、そんな汚いことやってるんじゃありません!
そういう暇があるならば、漢字の書き取りの一つでもやりなさい!
えてして、子供の好奇心というのは無限大です。小さい頃にわからないことを親や先生に聞きまくった方、あるいは子供から「なぜなぜ攻撃」を受けている方は多いのではないでしょうか?
そのときに、安易に突き放したりしていませんか?そういうことを続けていくと、次第に子供の好奇心は薄れていき、委縮したり、言われたことしかできないような子供になってしまいます。
子供が好奇心に満ちた行動をしているときは、しっかり見守ってあげましょう。そして、危険な状況に陥らないようにだけ気をつけておけばいいのです。
また、子供でも理解できるような簡単な本を買い与えてあげてもいいでしょう。
私の場合、写真がたくさん載っている、子供でも分かりやすい大図鑑を買ってもらえて、ひたすら読んだ結果、小さい頃から生物関係にやたらと詳しくなれました。
パパー、このワンワンの写真いっぱいの本欲しいー
何?動物大図鑑だって?
5000円だと。そんな高いものダメだ!こっちの(値段が安い)絵本にしなさい!
子供がそういう本に興味を持ったタイミングというのは、子供の好奇心を育て上げる大チャンスです。多少高くても、未来への投資と思って買ってあげてもいいと思います。
その一方で、早いうちからスマホやゲームには触らせない方がいいです。当初は広い範囲に向いていた好奇心が、スマホやゲームに集中してしまう恐れがあるためです。
ある程度知識がついてきたうえで、節度を持って触らせるのであればまだいいのですが、小さい頃から触らせることは、違う意味で好奇心の衰退を招きます。
子供の暇つぶし目的でスマホやタブレットを与えている人も中にはいるようですが、あまり多用することはオススメできません。
むむっ、この星5キャラ、いくらガチャを引いても出てこんぞ!?
もう3万は課金しているが、本当に出現率5%なのか!?
数千円で教養が得られる本を買うことは渋るのに、射幸心を煽るだけのデータに何万円も費やすことをためらわない人って、結構多いんですよね。
スマホに使われる子供にはならないよう、注意しましょう。
早いうちから長期の目標を考える
好奇心の芽を育てて、長いこと様子を見ていれば、自然と得意不得意は見えてきます。
得意なものがわかってきたのであれば、ある程度成長してきたタイミングで子供に将来の夢を聞いてみましょう。これは、具体的な職業のような話ではなく、将来どんなことをやってみたいか、という広い目線で考えます。
例えば、子供が「野球が好き」と言い出したとしましょう。しかし、野球と言っても選手であったり解説者であったり、果ては野球道具のメーカーや野球場の建設整備といった様々な関わり方があるのです。
こうした思考をする上で、子供の好奇心を潰していなければ、何かしらはやりたいことが出てくるはずです。
やりたいことが聞けたら、そこからどのような進路が取れるか、そしてそのためにどのようなものが必要になるかを教えてあげましょう。そして、必要なサポートをしてあげるのです。
もしも聞いたことが現実的でないようであっても、頭ごなしに否定するのはよくありません。聞いてあげて、理由を示して困難であることを説明し、可能ならば妥協案を提示してあげましょう。
子供が別の進路を考えたとしても、早いうちならば軌道修正も容易です。
子供が自分で確固たる目標を持つことができたのであれば、あとは全力で応援してあげましょう。
勉強を強制しない
お前は代々医者の家系である〇〇家を継ぐ身だ。医学部に進学してくれんと困る!
何、91点!?医学部の足切りは95点だ、そんな成績で医学部に行けると思うな!
勉強熱心な家庭というものは時折見かけますが、中にはスパルタな感じの教育をしているところも珍しくはありません。
やらされる勉強というものは、たとえ好きな科目でも気が進まなくなります。気が進まなくなった結果、成績が落ち、怒られて猶更気が進まなくなり、以下ループに陥ると厄介です。
人間、時には頑張ることも必要ですが、常時頑張っていたら身が持ちません。
100mを10秒で走れる人間が、3000mを5分で走れるわけではないのです。
あくまで、勉強の主体は勉強をしている本人です。本人が必要であると自覚して頑張っているのであればいいですが、周りからの押し付けにならないように、くれぐれも気を付けましょう。
勉強が嫌いな人へ
勉強が嫌いになってしまい、日々やってくる授業や宿題が嫌で仕方がない、という人は、今一度自分のやりたいこと、目標を整理してみましょう。
親や先生、他人に言われる進路ではなく、自分自身が本来どうしたかったのかを考えてみるのです。
勉強が嫌いでも、何か一つくらいは好きになれたことはありませんでしたか?
自分が今向かおうとしている進路は、自分が本当にやりたいことでしょうか?
今自分がやっていることが、自分の将来につながる勉強であれば、もう少しだけ、頑張ってみてもいいかもしれません。
そうでもないのであれば、今一度、自分の中の整理を行ってみましょう。
親に言われて大学院まで進学したけど、結局僕は何をやりたかったんだろう。
いつも言われたようにしか動かなかったから、どうすればいいかわからないや・・・
うちの子は大学院まで行かせてやったというのに、どうしてこうも就職活動で躓いているのだ!
せっかくお膳立てしてやったのに、意味がないじゃないか!
たとえ誰かから勉強の押しつけを受けたとして、その結果の責任を取るのは自分です。
勉強を頑張るのもいいですが、主体性を失ってはいけないのです。
私は社会人になってからそれなりの年数がたちました。
相変わらずやらされる勉強は嫌いであり、本業に関係してくる勉強も色々あるのですが、全然興味がわいてこないがゆえに、能率は極悪極まりないです。
とはいえ、必要なものなので最低限は抑えるようにしていますが、それでも嫌なものは嫌と思ってしまいます。
一方で、裏で色々とやるために勉強をした簿記やFPの勉強は、大変でしたが苦痛には感じませんでした。また、そういう勉強は自分のためになっていることを大いに実感できるため、大変でも頑張ろうという気持ちになれるのです。
必要だと思う勉強は、時期を問わずどんどんやっていきましょう。それが自分にとって必要なものである限り、必ずその効果は出てきます。
大学卒業したら勉強はオシマイ、というものでもありません。
私が昔大好きだった「MASTERキートン」という漫画でも、名言があります。
人間は一生、学び続けるべきです。
人間には好奇心、知る喜びがある。
肩書や、出世して大臣になるために、学ぶのではないのです。
では、なぜ学び続けるのでしょう?
・・・それが人間の使命だからです。
(平賀=キートン・太一)
MASTERキートン 第3巻より
豊かな将来を作るためにも、これからもしっかり学んで歩んでいきましょう。
今回の所はこの辺で。
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